結局、いま何をやろうとしているのか

別にこんなことを断っておくこともあるまいが(どうせ誰も読んでないし)、正直自分の中でも考えがまとまっていない上に根拠もないから、ここでは適当なことしか書けない。この先も同じようなことを繰り返し書くだろうし、一方で、正反対の内容を書くこともあると思う。

(自分のために)端的に今の構想を書いておくと次の通りになる。

賢くなりたいけど、勉強しても賢くはなれない。賢くないと勉強ができないからだ。脳を直接鍛えることはできないが、脳は身体の一部だから、身体を鍛えることで間接的に脳を鍛えることはできるのではないか。ただし、闇雲に身体を鍛えても脳に影響はほとんどないだろう。そこには両者を繋げる工夫が必要だ。そこで心身を統一させるための伝統的な技法に注目する。中心となるのは「武術」だ。それはまさに命を賭けた営みだからである。またそれと並行して、「演技」のことも考えたい。驚くほどの共通点があるからだ。

武術で強くなり、心身の健康を保ち、脳を活性化させて思考・記憶・創造の力を高めることは、全くひとつのことである――という仮説を立て、これを検証する。実験台は自分である。最終的にやりたいのは、劇形式の物語を書くことである。

恐らく、誰にも全く理解されない、相手にもされないだろう。そういう孤独な研究をやる。

立甲:肩甲骨をはがして自由になる

心と身体をひとつにするために、まずは身体をひとつにしなければならない――ということを思いだそう。では、身体を一つにするというのは一体どういうことなのだろうか。

正直、分からない。だって、まだひとつじゃないから。ただ分かっていることがいくつかあって、その最も重要なひとつが「力の流れ(あるいは連動)が肩で切れてしまう」ということだ。切れる箇所は他にも腰や股関節や膝といった大きな関節に現れやすいのだが、とりわけ肩は厄介だというのが実感である。巻き肩(いわゆる猫背)になっている人は特に肩で流れが切れやすいので、これをなんとかしなければならない。

良い動画があまり見つからないので、文字で説明しよう。ざっくり3つの運動をやる。

一つ目。右手で左肩を、左手で右肩を持つ。胸の前で腕がクロスしている状態。このまま両肘で身体の前に大きく円を描くように動く。右回り、左回り。なるべく大きな円を描こう。これは紹介している動画がかなり多い。

二つ目。足を前に出して床に座る。右手で左足を持つ(足の小指側に手を引っかけるように)。そのまま足をぐーっと前に出して背中が引っ張られるようにする。左手右足で同じことをやる。

三つ目。足を前に投げ出して床に座り、手は身体の後につく。そのまま手の位置は動かさずに、ゆっくりお尻を前方に進めていく。限界が来たらそこで肩を回す。すると少しだがまた先に進めるようになる。限界が来たらまた肩を回す(ぐるぐるは回せないので、回せるだけ回せば良い)。これを繰り返してそれ以上無理になったら、手をパッと床から離すのではなく、そこからお尻を後方に戻して元の位置に帰る。

後は日常生活で巻き形になっていることに気付いたら、その都度姿勢を整えること。整えた姿勢を維持することよりも、気付くたびに姿勢を整えることが重要だ。ひもトレを用いるのもいいだろう。色々やり方はあるが、たすき掛けで十分だ。

アブローラー:呼吸の練習と背骨の調整

筋トレはやらないと宣言しておきながら「筋トレ」の記事が続いている。外形的には筋トレだが、筋肥大や筋力アップを目的としていないことに注意してほしい。筋トレをする際に「どこに効くのか」を考えながらトレーニングしないと上手く成長しないのと同様に、漠然とこれらをやっても中途半端な筋トレになって永遠に目的にはたどり着かない。

今回はアブローラーをやる。いわゆる膝コロでいい。背骨を整えることを目的としているが、ブリッジと比べても余裕があるはずなので呼吸のトレーニングも兼ねることにしよう。

行きで息を吸って帰りで息を吐く、行きで息を吐いて帰りで息を吸う、息を吸っている間に行って帰ってくる、息を吐いている間に行って帰ってくる、息を止めている間に行って帰ってくる、と様々な呼吸パターンで行う。一様に均等に呼吸をすることを意識する。グッと力が入って呼吸が乱れるところをチェックしながらやる。

そもそも筋トレではないから、なるべく力まないやり方を考える。背骨をまっすぐにすることを忘れずに。腹筋が疲れてきてからが練習の本番になる。とりあえず最低20往復を目標に行う。

ブリッジ:筋トレと柔軟のハイブリッド

筋トレに関しては以前に書いた通り、一般的な自重トレ→ダンベルで部位鍛錬→おもりを背負ってざっくり筋トレ→自重トレ、という変遷を辿ってついには筋トレをやめてしまった。その最後に取り組んだ自重トレというのが、(まだ流行っているの?)「プリズナー・トレーニング」だった。

ざっくり6種目、細かいステップアップ、理屈はいいからとにかく使える身体を作れ、という考え方が気に入った。いわゆる「キャリステニクス」と呼ばれる古代ギリシャからのトレーニング方法をベースにしている。

どうやってもステップアップできない箇所が出てきたことで、年をとったら続けられないなという限界が見えてしまい、結果的にこのプリズナー・トレーニングが私の筋トレ生活に引導を渡すことになった。筋肉を緊張させ鍛錬しても私の成長はたかが知れていると思った。要は筋肉に頼った身体開発にアホらしさを感じてしまったわけだが、実は形を変えて自分の運動習慣にこれらの一部が残っている。

例えば、神経を鍛えるためのGtGにおける片手腕立てと片足スクワットや、立つ練習としての倒立がそうだ。そして、今回触れるブリッジに関しては、純粋にプリズナー・トレーニングの内容をそのまま残しているということになる。同トレーニングの著者は「絶対に欠かせないエクササイズを選ぶならブリッジ」と言っている。

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私もそう思う。プリズナー・トレーニングは全6種目だが、その中で最も全身運動に近い。また、普段使わない部分を使う必要がある。他の種目よりとりわけ柔軟性が要求される。正直、ここで取り上げられるまでブリッジが筋トレだとは思ってすらいなかった。異質なのだ。完成形(最終ステップ)が筋力アップの延長上にないという点で難易度もぶっちぎりに高い。ただ筋力さえ付けばできるようになるというものではないのだ(腕立てや腹筋なんかは、誰でもできるようになる)。

目的は背骨を整えることにあるが、並行して柔軟性を養うことになり、おまけとして(普段使わないが故に他の部位よりも衰えた箇所の)筋肉も鍛えることができる。吉本新喜劇にも出られるかもしれない。

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四股:丹田を探すために

四股(しこ)。相撲取りがやるアレ。(頭の中だけでもいいので)試しにやってみよう。

さて、いまやったその四股は、本当の四股ではないらしい。少し前に「四股トレ」といって、伝統的な日本の格闘技である相撲の基本動作・四股を現代のトレーニングに取り入れようというムーブメントがあったと記憶している。つまり、その四股は筋トレあるいはストレッチの延長として捉えられていた。

だいたいみんなこんな感じで四股を踏む。

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足を高く上げ、地面に足を付けたところからさらに踏みしめるようにしている。動作が分解されているのだ。しかし、四股がこうなったのは戦後のことで、それまでの四股はもっと小さくコンパクトな動きであったと言われている。それは戦前の横綱の映像や写真、江戸時代に描かれた絵などから明らかだそうだ。

では、四股は筋トレやストレッチではなく何を目的にしていたのか。それは丹田を探すための鍛錬だったという。

例えば、「都道府県」のような複雑な形をしたものの重心をどうやって見つければ良いだろう。

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異なる2点で吊り下げて、それぞれの鉛直線の交点が重心となる。四股はいわゆるこれをやっていたのではないか。人間の重心というのはすなわち丹田のことだ。

大東流合気柔術の佐川幸義が日々取り組んでいたという四股が伝わっている。これはかつての相撲で行われていた四股なのかもしれない。

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身体は、あるいは身体と心は丹田で統一されるのではないかというのが今の見立てである。そのためにまずは自分の丹田を探さなくてはならない。

参考文献
『四股鍛錬で作る達人』(松田哲博)

GtG:筋肉ではなく神経を鍛える

以前は筋トレをしていた。最初は一般的な自重トレ。しかし、回数を重ねても筋肉が付かないという話を聞いて、次はダンベルを使って鍛え始めた。ところが、これをやり出すと際限がない。それでおもりを背負ってざっくり全体を鍛えるようにした。どんどん重さがエスカレートしていく。土曜日にやったら日曜日は筋肉痛で動けない。月曜、火曜くらいになってようやく身体の痛みが引いて、すると驚くほど身体が軽くなっていることに気付く。でも木曜にやったら金曜は動けないし、金曜には疲れ果ててもう筋トレ自体ができない。結局また土曜にやって同じことの繰り返し。これでは意味がないと思って、最後は自重トレに帰ってきたが、とうとうアホらしくなってやめてしまった。

年齢を重ねて衰えていく一方なのに、筋トレの宿命として負荷が大きくなっていき、どこかで身体に無理が生じて、少し休むとすぐに身体が元通り(筋トレ以前)になってしまう。このサイクルがアホらしくなってしまったのだった。

やり方の問題だと他のトレーニーは言うだろうけど、色々やってみて、そもそも自分にそんなに筋肉が必要なのかという疑問を持った。そして、人にはそれぞれ必要な筋肉量というのがあって、不必要な荷物を背負うとどこかで歪みが生まれてしまうのだ、という結論に至った。それ以来、筋トレはしていな――かったのだが……。

前置きが長くなったが、ここで一つ筋トレを紹介したい。それがGtGだ。"Grease the Groove"という。種目は何でもいいので、次のルールで取り組む。①限界の半分以下の(疲れが残らない)回数を1セットやる。②一日に何セットかやる。③セットとセットの間は1時間以上あける。

私はこれをトイレに行くたびにやると決めて、イス軸法で体軸を整えてから、片手腕立て1~2回と片足スクワット5回に取り組んでいる。高負荷低回数で筋肥大を狙うやり方とも、低負荷高回数で筋持久力増大を目指すやり方とも違う。じゃあ何が鍛えられるのか、というとそれはおそらく神経だと思う。

事故や病気などでリハビリをしている人たちがいる。動かない部位を毎日少しずつ動かしていくうちに機能が回復していく。身体の神経と脳が繋がっていくのだろう。あれを筋トレでやろうというわけだ。私たちの取り組むテーマにぴったりだとは思わないか。

私が特に気に入っているのは「追い込まない」というところだ。筋トレは最強のソリューションといって、最近では猫も杓子も筋トレにいそしんでいるようだ。まったく否定するつもりはない(否定されてメチャクチャ怒っている人をリアルでもネットでもしょっちゅう見かける)。

ただ、筋トレは効率よく疲れる練習をしているようなところがあると思う。筋肉を痛めつけ、一度壊して、強くする。それはかさぶたをどんどん分厚くするような営みではないか。我々は地球人であってサイヤ人ではない。限界はすぐにやってくるだろう。筋トレは限界を知らずにいられる特権を持った若者たちに任せて、私たちは粛々と神経を育てていきたい。

倒立:逆さまから立つことを考える

倒立(逆立ち)について、随分前に武井壮が「笑っていいとも」(もう10年以上前になるのか…)で解説していたのを思い出した。動画が見当たらないので、同じことを語っているものを載せておく。

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要するに、手で立つのも足で立つのも同じことだから足で立ってるってどういう状態なのかをまずはきちんと観察しなさい、ということを言っている。武井はここで「立つことはできる」というのを前提に倒立の解説をしているけれど、既にここまでお読みの方は思ったはずである。いや、私たちは本当に立てているのか? と。

「手で立つことと足で立つことをバラバラに考えているから倒立が難しい」という指摘は鋭いが、そもそも足で正確に立てていないから手でも立てないのではないか。このことを考えるのに、やはり倒立の練習は欠かせないと思う。

なお、かの手塚治虫も倒立をしている。(42:40~)

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砂時計はひっくり返さなければ機能しなくなる。人間もたまには逆さまになる必要があるのかもしれない。

イス軸法:身体を貫く軸を手に入れる

身体の凝りや歪みを取り除いてニュートラルな状態に持っていくことで身体の全体性を回復させていく。それが土台となって、心と体はひとつのものとして溶け合っていく。まずは小さな目標として、上手く立つことを目指したい。

ところで、凝りや歪みを取り除くことが「外側」の問題だとしたら、まっすぐ立つことに関して実は「内側」の問題がある。それが身体の軸だ。身体が凝りに凝って歪みに歪んでいても、人間はバランスをとって立つことができる。その人なりの軸があるからだ。その軸をより強固なものとしよう。この「内側」の画期的な調整法が「イス軸法」だ。

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正しい体軸を身につけることで、身体の使い方もバランスの良いものとなる。結果的に「外側」も調整されていくことになるだろう。一瞬でできる、何回でもできる。やらない手はない。

筋膜リリース:身体の偏りをなくす

心・脳を鍛えるために、心・脳を含めた身体の全てをひとつのものとして鍛えよう、というのが基本的な考え方であった。しかし、とにもかくにもまずは身体だ。身体の全体性を回復させることが我々の喫緊の課題である。

したがって、身体を部位に分けて鍛えるという方法を我々(私)は採らない。原則的に筋トレをしないのも、それによって部分ごとに偏りが生まれてしまうという理由によるのだが、それ以前にそもそも私たちの身体は十分に歪み、偏りが生じている。

その偏りの一つが「凝り」だろう。使いすぎた部分、あるいは逆に使わなすぎる部分が固くなってしまう。これを徹底的にほぐしたい。そこで筋膜ローラー(フォームローラー)を用いてマッサージを行う。

試しに、うつ伏せになって太ももの前をローラーでコロコロやってみよう。激痛が走ってとてもじゃないが続けられないと思う。一方、ローラーの上に座って、お尻から腿の裏をコロコロしてもさほど痛くない、人によっては気持ちいいくらいだと思う。要するに、普段から腿の前で支えるようにして立っていてそこを酷使しているということなのだが、そのことにほとんどの人が気付いていない。例えばこんな感じ。

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一度、自分が本当にまっすぐ立てているか確認してみよう。腿の前が痛かった人は、恐らくまっすぐ立てていない。動画の大泉洋のように(これは少し極端なような気もするが)前に重さが掛かっている。よくよく自分を観察すれば、腿の後と前を比較して、前の方が緊張していることを感じ取れるはずだ。

この腿の後と前にかかる体重の比率をイーブンにしたい。不思議なことにイーブンにすると中心を貫く骨に体重を預けることになり、筋肉にほとんど緊張を感じなくなる。ただそれを維持するのは難しいので、とにかく腿の前で立っていることに気付いたら、それをすぐに止めることを癖づけていきたい。

ローラーを使って身体をほぐしたいのだが、身体の癖を取り除かなければ結局また同じように凝りが生まれる。だから、ローラーによって身体をほぐすのと同時に、痛みを覚えた箇所(=偏った使い方をしている場所)を探して、自分の癖を取り除いていくのだ。

胴体力:体中に力を伝える

身体の動きは煎じ詰めれば「伸びる・縮む」「丸める・反らす」「捻る」の三種類しかなく、身体の無限の動きはこれらの組み合わせによって生まれる――と言った男がいた。武術家・伊藤昇である。彼はこの力を「胴体力」と名付け、三つの体操にまとめた。

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単純ではあるが簡単ではない。漫然と取り組むのではただのストレッチになってしまうだろう。とはいえ、それだけでも実は十分ではないか、と思っている。とりあえず何かを身体が理解するまで続けることが重要で、続けやすさでは真向法と双璧をなす。あっちが下半身ならこっちは上半身という点でも相性が良いと思う(身体を部分で捉えるのは最終的には望ましくないのだが)。

筋肉に頼らない、バランスを整える、全身を繋げる、といった重要な概念を知るきっかけとなったメソッドである。一方、武術とくに古武術においては「先端・末端から動く」という正反対の教えがある。これはおそらく下手くそながらも人間が胴体から動きを伝えていることを逆手にとったものなのだろう。

真向法:下半身の柔軟性向上とその習慣づけ

柔軟性獲得のためにまず真っ先に思いつくのはストレッチだ。方法やバリエーションは山のようにあるが、ここで一つ基本方針を述べておく。「最新科学に基づくやり方ではなく、古い伝統的な技法をなるべく用いる」ということである。

私には何が正しいのかが結局のところ分からない。例えば、健康に良いと言われる食材について調べてみると良い。同じ食材にもかかわらず、必ず「健康に悪い」という意見が見つかるはずである。そしてそのどちらにも「エビデンス」がある。利害・立場・趣味嗜好で全てが変わってしまうのだ。

そこで、時代を超えて伝えられたもの・歴史に磨かれたものをベースに置くことにする。いわば、「科学はおばあちゃんの知恵袋の有用性を追認するに過ぎない」というのが私の基本的立場である(いずれ述べることになると思うが飽くまで原則とするのであって例外はあるだろう)。

今回取り上げるのは、「真向法(まっこうほう)」。これが「古い伝統的な技法」かと言われると微妙なところであるが、仏教の礼をベースにした技法である。詳細は公式サイトやウィキペディアを参照してもらえばいいが、簡単に説明をしておく。

半身不随になった男が実家の寺にあったお経を読み、そこに書いてあった礼拝の仕方を参考に作った体操である。本人はこれにより半身不随を克服した。内容は下半身を中心としたストレッチで第四体操まであり、公式の説明によればトータル3分でできる。

普通のストレッチと違うのは、伸ばすだけではなく、必ず元の位置まで戻すことで血液やリンパの流れを良くすることにも重きを置いているところ。しかし、私が気に入っているのは分かりやすくて短いことである。毎日続けるためにはこの「さっさとできる」というのが必須の要件だ。

また具体的な方法をあっさりと無料で完全に公開している。まぁ、それほど複雑で大層な技法ではないものの、誰でもすぐに始めることができる点が素晴らしい。

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私は自他共に認める身体のカタい人間で当然始めた頃はうまくできなかった。サボりながら週3回程度2年間続けたところで人から「柔らかいですね」と言われるようにまでなった。別にこの方法でなくても2年も続けりゃ身体は変わるんだが、心身統一の一歩をついに踏み出したわけである。

なお、真向法に加えて前後開脚の練習もしておきたい。

柔軟性の獲得

心と体をひとつのものとするためには、まず「心と体をひとつにする」という発想を止めることから始めなくてはならない。「心と体」と言っている時点で、すでにそれが別々のものであることを認めてしまっているからだ。とはいえ、いわゆる心身二元論に慣れきっている私たちには少々難しい話かもしれない。そこで当面は両者を別々のものと認識した上でそれらを一致させるという戦略をとりたい。

すなわち、心を体の方に寄せ、体を心の方に寄せていくわけだ。東洋的に考えれば、それが丹田で一致し統一されるのではないか、その鍵となるのが呼吸ではないか、というのが私の予想だがそれはまた別の機会にしよう。

まずはしなやかな体を作りたい。年をとると頭が固くなるなどと言われるが、年をとると体は間違いなく固くなる。この二つのカタさは決して別物ではないと私が考えていることは、ここまでお読みの方には既におわかりいただけることと思う。

身体を隅々まで使えるようにすること。神経が行き届き、自分の意のままに動かせるようになること。身体でそれができれば、脳(心)にそれを適用するには、ほんの一跨ぎだろう。繰り返すが、心と体はひとつのものだからである。

柔軟性を獲得・維持することが全ての始まりだ。

この頭の悪さをどうすればいいのか

自分の頭の悪さに辟易している。長年これをなんとかしたいと思ってきたが、果たしてどうすればいいのか。「勉強すればいいじゃん」と言いたくなるかもしれないが、ちょっと待ってほしい。その勉強ができないくらい頭が悪いからこちらは困っているのだ。

そこでこういう考えに至った。脳を鍛えるためには、身体を鍛えなくてはならない。脳は身体の一部だからである。しかし、闇雲に身体を鍛えても意味がない。ダンベルを持って腕を曲げ伸ばししても(多少は他の部分にも作用するとはいえ)太くなるのは腕だけであるように、単純な運動はただ身体に効くだけで終わってしまう。

これは言い換えれば、心(脳・頭)と身体を分けないということだ。もっと積極的に言えば、心と体をひとつにするということだ。古くから多くの人がこのことに気がついていたようだ、ということにようやく私も気がついたわけである。

そのための具体的な方法がたくさん伝えられている。頭をよくすることも身体をよくすることも、本当はひとつのことだ。人間としてよくありたい、生物としてよくありたい。そのためにできることを考えていこう。